2016年10月3日月曜日

棚町丈四郎略歴

棚町丈四郎略歴

1890年11月9日福岡県三井郡味坂村大字八坂八百八捨九番地に佐々木正蔵四男として生まれる。
1985年4月福岡県三井郡味坂村味坂小学校に入学する。
1899年3月同校尋常科四学年を卒業する。
4月福岡県三井郡立石村松崎高等小学校に入学する。
1902年3月同校三学年を修了する。
4月久留米市明善中学校に入学する。
1907年3月同校を卒業する。
9月第五高等学校に入学する。
1910年6月同校第一部英法を卒業する。
9月東京帝国大学法科大学法律学科に入学する。
1913年1月福岡県三井郡小郡村大字大板井七捨番地棚町五十吉の婿養子となり長女ユキと結婚する。
1914年7月10日東京帝国大学法科大学法律学科(英法兼修)を卒業する。
8月13日司法官試補を命じられる。
東京地方裁判所及び同検事局並びに東京区裁判所及び同検事局において事務修習を命じられる。
11月20日東京区裁判所検事の代理を命じられる。
1915年3月!1日東京区裁判所検事の代理を免じられる。
1916年3月13日検事に任じられ、高等官7等及び従7位に叙せられ、東京地方裁判所検事局兼東京区裁判所検事局勤務を命じられる。
8月16日東京区裁判所検事の代理を命じられる。
8月18日大阪地方裁判所検事局兼大阪区裁判所検事局勤務を命じらる。
1916年7月13日大阪地方裁判所検事兼大阪区裁判所検事に補せられる。
1918年5月30日高等官六等に叙せられる。
6月20日看守長任用試験委員を命じられ正七位に叙せられる。
10月5日東京区裁判所検事兼東京地方裁判所検事に補せられる。
1919年10月20日高等官五等に叙せられる。
12月10日従六位に叙せられる。
1923年12月27日「摂政宮殿下帝国議会開院式二行啓ノ途次虎ノ門跡二於テ難波大助殿下二対シ奉リ杖銃ヲ発射シタルモ殿下御無事二渉ラセラル」(『司法沿革誌』)
1924年1月18日司法官試補指導掛を命じられる。
2月2日高等官四等に叙せられる。
3月29日正六位に叙せられる。
8月4日司法官試補指導掛を免じられる。
1925年10月東京区裁判所上席検事を命じられる。(思想専門だけではなく東京区検の全般にわたり責任を持つ)
1926年3月25日「朴烈事準植及金子文子二対シ大審院二於テ各死刑ノ判決アリ」(『司法沿革誌』)10月13日「朴烈事準植及金子文子ノ怪写真事件二付司法当局内容ヲ発表ス」(『司法沿革誌』)
1927年9月6日勲六等に叙せられ瑞宝章下賜。
9月13日高等官三等に叙せられる。
10月15日従五位に叙せられる。
1929年8月1日東京控訴院検事に補せられる(思想検事として)。11月16日大礼記念章を拝授する。
1931年9月8日勲五等に叙せられ瑞宝章下賜。
9月28日東京地方裁判所検事(次席)に補せられる(検事正の補佐として全般にわたる役目)。
1932年1月8日「天皇陛下陸軍始観兵式ヨリ還幸ノ途次一鮮人歯簿二爆弾ヲ投シメルモ御粁車其他二御異常ナク陛下ニハ無事宮城二還御アラセラル」(『司法沿革誌』)
1932年1月9日大審院検事事務取扱を命じられる。
11月1日正五位に叙せられる。
1933年3月23日欧米各国への出張を命じられる。
3月29日外務省の事務嘱託となる。
1934年2月6日欧米出張より帰朝する。
2月16日大審院検事に補せられる。(「思想実務家会同」に出席しており思想検事としての役目)
8月11日高等官二等に叙せられる。
9月8U勲四等に叙せられ瑞宝章下賜。
1936年6月27日長崎地方裁判所検事正に補せられる。
1937年11月15日長崎県方面事業委員会委員の嘱託となる。
11月15日従四位に叙せられる。
1937年12月21日名占屋地方裁判所検事正に補せられる。
1938年9月7日勲三等に叙せられ瑞宝章下賜。
12月21日死去する。同日正四位に叙せられる。
12月28日特旨を以て位一級追陞せられる。
1939年12月24日名古屋市泰安殿における葬儀の直轄上司は名古屋控訴院宮城長五郎検事長(泉二検事総長・塩野季彦司法大臣の時代)。
1940年12月20日ごろ満2年の吉祥寺自宅における三回忌法事に宮城司法大臣が来訪。
(岸本義広編集発行『棚町丈四郎先生遺稿集』1941年12月発行・非売品1~5頁参照)





0 件のコメント:

コメントを投稿