2016年9月9日金曜日

旧制成蹊高校1943年送辞9月22日

 戦局の悪化にともない成蹊高校の教育期間が3年から2年半に短縮され、9月22日に3年生の卒業式があった。生徒総代として棚町は式辞を読んだ。手元に残していたそこには、難解な語句をたくさん使われている。読み飛ばしてもらってもいっこうにかまわないが、当時の皇国少年の心情がよくわかるので、引用しておく。

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 「輦轂(れんこく)の下西つ方、武蔵野の自然に抱かれたる大なる学び家成蹊に、南遥かに芙蓉の霊峰を仰ぎつゝ、北日光の空高く聳える筑波と共に向上を競いつゝ、七年三年の青春の日を文武の道に勤しまれし兄等には、今や高校生活最後の思ひ出たるべき大学入試を、黒金溶くる三伏の候に首尾よく突破せられて、初秋の今日、魂の故郷成蹊を去りて、其の各々志される部門々々に門出せられんとす。日本男児が活躍の舞台は至つて極メテ広大となり、兄等が方寸既に覇図成りて、雲に駕したる蚊龍の、行手の途は難くとも、斗牛を抜きて行かんの意気あらん事と拝察す。吾等後輩一同、衷心より兄等が前途に幸多かれと祈ると共に、聊(いささか)か成蹊在校生としての覚悟を述べ、以て兄等を送るの辞となさん。
 禍津日の雲湧き立ち上り、我が神洲を閉さんとす。八紘を掩(おお)ひて宇と為むの大皇戦既に二歳、緒戦の痛手より立直りたる敵米英は、全戦線に亘りて盛に反攻を企て、更に我皇土の空を窺ひ、其の戦意極めて熾烈なるものあり。欧洲の戦局寸時の油断も許さず。支那大陸戦線猶未だ前途遼遠なり。一昨日の大西中将(大西瀧治郎、神風特別攻撃隊の創始者)の講演に聞く。今や吾等が祖国、危急存亡の岐路に立てり。されど、否、さればこそ、吾等神洲に生を享くる者、御民吾れの感慨、今日に過ぐるものあらんや。彼我交戦国の学生、多くは銃を執りてありと。敵米の学生飛行士、その精神敵ながら殊勝なりと聞く。吾等日本の高等学生、既に学年短縮等の戦時措置を受けたりとは雖(いえど)も、他国学生に比し如何に恵まれ居るかを思ふべし。吾等にして、此の恩恵に狎(なれ)るゝ事あらんか、そは国家の恩を仇にするものなり。
 本日兄等の御卒業を祝するを得。此れ全く御稜威の然らしむるところと、忠勇なる皇軍将士の必死の奮闘の賜にして、深く感謝に耐へざる次第なり。大東亜建設の人柱となりて散りにし、吾等が同胞其数幾万ぞや。思ひ此処に至る時、吾等が日常生活に対する自責の念、寔(まこと)に切なるものあり。
 今日兄等を送る式典あり。明秋再び全校生徒打揃ひて卒業式を挙ぐる事ありと誰か断じ得ん。
 吾等銃を執りて戦場に立つの日、明日に来らんとも計られず。来るも当然なり。来らざるに狎(なれ)るゝ事勿れ。吾等が担ふべきは次代の光栄のみに非ず。明日にも銃を執らんの覚悟なくして充実せる高校生活有り得べからず。充実せる高校生活なくして明日にも銃を執らんの覚悟起り得べからず。明日銃とりて立たんの覚悟は今日の真の高校生活よりのみ出ず。
 真の高校生活とは如何。文武一如の生活なり。夫れ文武は鳥の両翼の如し。文を半し武を半し合して一となすは文武一如に非ず。文のみにて全一なり。武のみにて全一なり。合して全一なり。片翼の航空機能く半ばの務めをなすや。文武を連ねて一聯とするものは何ぞ。必死の鍛錬なり。透徹せる国体観時局観なり。今や必死の時にあり。生まれて必死の世に遭ふはよきかな、人その鍛錬によりて死に勝ち、人その極限の日常によりてまことに生く。空虚なる批判を止めよ、そは破壊にすぎず、未だ高校生に残りたる世界主義、感傷主義よ。去れ。そは総て閑日月なり。悠久の大義に生くるより大なる事何かあらん。
 吾等成蹊六百健児の嚮(むか)ふ所炳乎たり。忠孝文武、貫くに一の護皇精神を以てす。臣道を尽して報命の誠を致す。此れ成蹊精神に非ずや。
 兄等最上級生の時に於て創りし中隊を主とする新修練制度、今や創草の時既に過ぎて漸く本格的活動に入らんとす。防空対策も一応の整ひを見たり。今や敵の来らんとすると待つのみ。要は実践にあり。
 鳴呼、空翔る英霊、孤島守る忠魂の吾等を招く声聞ゆ。
 吾等六百成蹊健児、礼調の精神を以て団結を固くし、進みて国難に赴かん。終りに臨み、国家の期待の兄等に掛かる所如何に大なるかを思ひ、兄等の御健勝御自愛を切に祈ると共に、兄等が母校を屡々訪れられて、私共後輩を御指導給はらんことを願ふ。

 昭和十八年九月二十二日 在校生代表 

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